三島由紀夫作品メモ②
彼は凍ったように青白い美しい顔をしていた。心は冷たく、愛もなく、涙もなかった。
しかし眺めることの幸福は知っていた。
天賦の目がそれを教えた。
何も創り出さないで、ただじっと眺めて、目がこれ以上明晰になりえず、認識がこれ以上透徹しないという境の、見えざる水平線は、見える水平線よりもはるか彼方にあった。
しかも目に見え、認識される範囲には、さまざまな存在が姿を現す。
海、船、雲、半島、稲妻、太陽、月、そして無数の星も。
存在と目が出会うことが、すなわち存在と存在とが出会うことが、見るというこことであるなら、それはただ存在同士の合せ鏡のようなものではあるまいか。
そうではない。
見ることは存在を乗り超え、鳥のように、見ることが翼になって、誰も見たことのない領域へまで私を連れていくはずだ。
そこでは美でさえも、引きずり朽され使い古された裳裾のように、ぼろぼろになってしまうはずだ。
永久に船の出現しない海、決して存在に犯されぬ海というものがあるはずだ。
見て見て見抜く明晰さの極限に、何も現われないことの確実な領域、そこは又確実に濃藍で、物事の認識もともどもに、酢酸に浸された酸化鉛のように溶解して、もはや見ることが認識の足枷を脱して、それ自体で透明になる領域がきっとあるはずだ。
そこまで目を放つことこそ、私の幸福の根拠だった。
私にとっては、見ること以上の自己放棄はなかった。
自分を忘れさせてくれるのは目だけだ、鏡を見るときを除いては。
私は、自分がまるごとこの世には属していないことを確信していた。
この世には半身しか属していない。
あとの半身は、あの幽暗な、濃藍の領域に属していた。
従ってこの世で自分を規制しうるどんな法律も規制もない。
ただ自分はこの世の法律に縛られているふりをしていれば、それで十分だ。
天使を縛る法律がどこの国にあるだろう。