親孝行するまでは死ねない

思考錯誤の日々を綴っていこうと思いました

三島由紀夫作品メモ②

f:id:yamagatakashin:20170717212440j:plain

 彼は凍ったように青白い美しい顔をしていた。心は冷たく、愛もなく、涙もなかった。

 

 しかし眺めることの幸福は知っていた。

 

 天賦の目がそれを教えた。

 

 何も創り出さないで、ただじっと眺めて、目がこれ以上明晰になりえず、認識がこれ以上透徹しないという境の、見えざる水平線は、見える水平線よりもはるか彼方にあった。

 

 しかも目に見え、認識される範囲には、さまざまな存在が姿を現す。

 

 海、船、雲、半島、稲妻、太陽、月、そして無数の星も。

 

 存在と目が出会うことが、すなわち存在と存在とが出会うことが、見るというこことであるなら、それはただ存在同士の合せ鏡のようなものではあるまいか。

 

 そうではない。

 

 見ることは存在を乗り超え、鳥のように、見ることが翼になって、誰も見たことのない領域へまで私を連れていくはずだ。

 

 そこでは美でさえも、引きずり朽され使い古された裳裾のように、ぼろぼろになってしまうはずだ。

 

 永久に船の出現しない海、決して存在に犯されぬ海というものがあるはずだ。

 

 見て見て見抜く明晰さの極限に、何も現われないことの確実な領域、そこは又確実に濃藍で、物事の認識もともどもに、酢酸に浸された酸化鉛のように溶解して、もはや見ることが認識の足枷を脱して、それ自体で透明になる領域がきっとあるはずだ。

 

 そこまで目を放つことこそ、私の幸福の根拠だった。

 

 私にとっては、見ること以上の自己放棄はなかった。

 

 自分を忘れさせてくれるのは目だけだ、鏡を見るときを除いては。

 

 私は、自分がまるごとこの世には属していないことを確信していた。

 

 この世には半身しか属していない。

 

 あとの半身は、あの幽暗な、濃藍の領域に属していた。

 

 従ってこの世で自分を規制しうるどんな法律も規制もない。

 

 ただ自分はこの世の法律に縛られているふりをしていれば、それで十分だ。

 

 天使を縛る法律がどこの国にあるだろう。