親孝行するまでは死ねない

思考錯誤の日々を綴っていこうと思いました

誕生日を迎えて33歳になったので、これまでを内省し、気を引き締めたい

 いつからか誕生日は誰かに何かプレゼントをもらったり、ケーキを食べたり、親に感謝したりする日…というよりも、これまでの人生を回想し、この一年間頑張り抜くため、自分を裏切らないための決意の日になりました(・ω・)

 

 私の場合、自分の健康問題によって人生が上手く回らず、後手に回ることが多いのですが、腐らず前向きになるための儀式として、今年もこの自己満足で無駄な精神作業をやっていきたいと思いますw

 

 恐らく、普通の人は知識や技術の習得、体力筋力の強化、ストレス耐性の向上、人間関係の変化および深化、出世もしくは収入増加などを通じて、自身の成長を感じるものだと思います。

 

 

 私が自分の成長を自覚的に感じられたのはせいぜい19歳までで、それ以降は衰えていく感じしかしません…よくて現状維持です(^^;頑張って抗ってますが。。

 学力、体力、精神力、経済力、人間力等…何をとっても人より劣っている、もしくは遅れをとっている、いつも誰かに助けられているという感覚を20歳から現在まで常に味わってきました。

 

 ある意味それも当然で、私は他人との共同作業や共有経験を通じて楽しい思い出を作る…という正の体験より、自分一人だけの世界に没頭する方が好きでしたし、負の体験を通じて多種多様な経験則を学んでいくタイプでした。

 吃音やヘルニアの影響も当然あるのでしょうが、いわゆる内向型の人間なのです。

 

 無理して明るく外交的な人間を装うこともやろうと思えばできるのですが、本来的な自分でない感じがして、苦しくなりますw(^^;

 たとえば、日中マクドナルドでニコニコハキハキバイトするよりも、深夜の工場で何も喋らずに黙々と単純作業やるのを好むタイプなのです…。 

 

 また夜中にそういった無機質な機械労働をすると、ある種の特殊な精神状態になり、実はそれが好きだったりします。

 これは夜中にホラーゲームや推理ゲームにハマって、思わず徹夜でゲームをしてしまった…という感覚に近いのですが、共感して頂けるかどうか…(´Д`)

 

 

 基本的に人間は外交的な人のほうがすべて得をします。

 なぜなら、人は人に承認されることで自身の価値を社会で認められるからです。

 自分が20代で内向きな人生を送ってしまったことは後悔のひとつですが、そのときはそうしなければ生きられなかったので仕方ありません。

 

 外向的な人は基本的に打たれ強いです。

 なぜ打たれ強いかというと、細かいことを気にしないし、自分を優先し他人を犠牲にできるからです。

 その代わり、自分が虐げられる側になっても文句を言いません。負けたのだから仕方ない、そう解釈するスポーツマンなのです。

 

 私はすべてが中途半端なのです(´Д`)

 オタクでもなく、スポーツマンでもなく。

 頭がいいわけでも、悪いわけでもなく。

 善人でも、悪人でもなく。

 すべてにおいて、偏差値50~65に収まる人生な感じがします。

 

 精神的にどのような人間を目指すべきか、イマイチ考えあぐねているところであります。

 ですが、誕生日ということで自身の人生に影響を与えた作品に触れてみますと、やはり自分は外交的な人間にはなれないのかな…と思ったりします。

 

 ちなみに―

 私の中では、ゲーム>小説>アニメ>映画>リアルの体験、という序列があります。。

 

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 以下、おそらく私が住んでる世界

 人間は、少年期から思春期までに影響を受けたもので人生決まると思う!