親孝行するまでは死ねない

思考錯誤の日々を綴っていこうと思いました

忍耐力、集中力を超絶強化する魔法の言葉?『仕事だと思って取り組め』~マインドフルネス~

 最近、勉強の集中力が切れたときにほんの数分間色んな本読んだり、スマホでネットサーフィンして休憩しているのですが、その中でとりわけ気になった事柄を書きたいと思います(・ω・)

 

 たとえば、自分がやりたくない作業をやらされたり、苦しい状況に追い込まれたり、辛い立場に立たされて『私、何でこんなことやってんだろう』という保身の心理状態になったときは総じて『私は今仕事をやっているんだ、仕事だからやるしかない』と思い込むと、たいていのストレスは綺麗に流せてしまうという精神的処世術を会得しました。

 

 従来、人間はお金をもらえる苦行的な勤労を仕事だと思っていたわけです。

 その苦痛に耐えた対価としてお金をもらえる。お金をもらえるわけだから苦しくても仕方ない。むしろお金がもらえるならその苦しみすら心地いい…という奴隷的な価値観を永きに渡って醸成してきたと思うのです。

 

 その援用で、日常の些細なトラブルも、これは自分の人生にとって後々必要な試練…すなわち後々の仕事につながる自己投資だと思い込み、勝手にプロ意識を以って真剣に臨むと、たとえ対価としてお金をもらえなくても頑張り抜くことができます。

 

 プロは仕事に私情を持ち込まず。

  真の愛情は見返りを求めず。 

 

 …というやつでしょうか。

 

 また、

 自分が苦しい思いをすればするだけ、後でいいことが待ってるor誰かの役に立てる…という自己心酔もあります(^ω^)

 

 これは筋トレ等の肉体トレーニングをしている方は、共感してもらえる?であろう体育会系のノリなのですが、たとえバカらしいことでも真面目にやってれば神様は見ていてくれる、に通ずる唯心論に基づく希望的観測なのです(^^; 

 

 

…もしかして、ただの『甘いレモン』(・ω・)?

 

 

 …それはさておき、しかしながら今の世の中では、自分がどれだけ努力したかどうかはあまり関係なく、時代の流れを先読みし、必要なスキルを身に付け、いち早くビジネス展開できる人が成功を収めている気がします。

 それどころか、人工知能や深層学習の発展によって、近い将来に技術的特異点に到達し、創造系・コミュニケーション系・専門職系以外の人間の仕事の多くは機械に代替されてしまう…などと真しやかに叫ばれていますよね(^^;

  その現実を否定あるいは拒絶するわけではありませんが、人間の精神面が退化してるような気がするのはちょっぴり寂しい気がします。。

 

 

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 息子に乳を揉まれても母親業を仕事だと思って笑顔で全うするお母さん…ここで怒らないのがエロゲなんだ…。

 

 

 ……。 

 

 

 ちなみに―

 『仕事だと思って取り組め』の逆ベクトルのマジックワードとして『障害者だからしょうがない』という諦観系の必殺技があります。

 これも非常に強い言葉で、自分を含めたほとんどの人はこれで黙らせることができます。

 しかし、これは使わないようにしたいものです(・ω・)

 私とあなたと違う世界に住んでるので、我々は理解し合えません…っていう表明って一種の最期通達だと思うのです。

 確かに、障害を持った人が健常者の世界で勝負することが不利であることは間違いないのですが、だからといって最初から敗北、排除、不寛容が確定してるわけではないのですから。

 無論、障害の内容とその程度、目指す目標に依るのですが、諦めたらそこで―

 

  スラムダンクの影響で学生時代にバスケ部だった人は多いと思いますし、私もその一人ですが、それで頑張りすぎて足腰壊したと思うと切ない(・ω・)業深きアニメです…。

 北斗の拳ケンシロウのせいで、指の関節鳴らす人が増えたのと同じ?

 

 

 現実をあるがままに受け入れることの難しさについて、思念を馳せてみました(^^;