親孝行するまでは死ねない

思考錯誤の日々を綴っていこうと思いました

心の健やかさと精神的な美しさ及び人間性の爽やかさの比例性とその環境因子について

 週末の中央競馬も終わり、私にとって、そして世間の皆様にとっても日常が戻って参りました。

 つまり、ただひたすら勉強して、食事を我慢して、合間にスクワットやウエイトをやるというだけの日々でございます(・ω・)

 一方、普通の方々は額に汗して労働に勤み、その対価として給与を得る。 

 凡庸な、一般的な成人男性の人生の多くはその繰り返しでございます。

 私も現在の自分の状況をすべて自分に課せられた業務だと解釈し、ストップウオッチ片手に真摯に学習作業に励んでいく所存でございます。 

 

 もっとも今はお盆なので、製造業やサービス業等以外の皆様は休暇の真っ最中かもしれません。 

 

 我が家もお盆休みなので現在、家に親父がいます。

 一昨日は、茄子と胡瓜に割り箸を差して迎え火を焚きました。

 昨日は、寺の住職がお盆法要にお経をあげに来て下さいました。

 それらの慣行行事に何食わぬ顔で参加する私(・ω・)

 家族で先祖を供養する暖かい環境が、そこにはありました。

 

 

 私は現在30過ぎの司法書士志望の無職でありますが、幸いなことに家族関係はこのように良好で、特に肩身の狭い思いや経済的に困窮した生活はしておりません。

 確かに、女の子とエッチできないとか、欲しい物が買えないとか、そういった煩悩の制限はありますが、それ以外何も不自由はないのです。

 

 両親には感謝しかありませんが、いつまで経っても役立たずの足手まといの穀潰しでしかない私。

 ただ子供だというだけで、親は子供に無償の愛を掛け続けられるものなのでしょうか?信じ続けられるものなのでしょうか?

 

 無論、今日の私の状況は吃音や椎間板ヘルニアといった健康問題と、その手術や通院やリハビリの結果から生じているので、単なる努力不足と糾弾することはできないのでしょう。

 

 しかしそれでも―

 

 うちの親は何でこんなに甘いんだ…(´ω`) 

 

 そう思わずにはいられません。

 優しさとは、言い換えれば弱さであります。

 その証拠に、温室育ちの私はこんなにも弱い人間に育ってしまいました。

 

 昨日は競馬で負けたわけですが、父は働きもせず競馬に興じる私に、

 「惜しかったなぁ!」と、楽しげに感想を漏らしました。

 

 

 以前、父は私がもう一生車椅子かもしれないと医者に告げられた際、

 「ずっと元気でいろよ!」とただそう言いました。

 そんな父も、会社では鬼として恐れられています。人間分からないものです。

 四六時中相手ことを観察していても、その人を理解したとは言えないし、心の深奥まで探ることはできません。  

 

 父も楽な人生を送っているわけではないのです。

 20代で母親を亡くしていますし、取締役専務に就任したあたりから仕事上の苦労や重圧が父のキャパシティーの限界を超えたのか、精神安定剤のお世話になるようになりました。

 

 本来、私が支える側にならねばいけないのに…。

 情けない…たまに自身の至らなさに対し、歯痒さと共に自己嫌悪の念に苛まれることがあります。

 

 そして、その苦しみが極致に達したとき

『親の信頼を裏切ることはできないぞ』と、内なる自らの声が我が胸を刺し、私にペンを握らせるのです。 

 

 今自分にできることはそれしかないのですから。

 できることすら一生懸命全力でこなせないのは、家族に対する背信行為でしかないと思います。

 

 優しさは弱さですが、それと同時に強さでも…あるのでしょうか?(・ω・)

 

 三国志劉備が死に際に諸葛亮に後の面倒事をすべて一任しますが、普通の人物なら自分が国を乗っ取るか、厄介事を押し付けた主君に恨みを抱くところでしょう。

 しかし諸葛亮は「先帝は私を信頼し、すべてをお任せくださった。私はその恩義に報いなければならない」と過労死の間際に述べています。

 歴史上、他に類をみない美しい主従関係です。

 

 それはおそらく口先の善人アピール、忠臣パフォーマンスではなく本気でそう思っていて、だからこそ多くの人に語り継がれ感動を生んだのだと思いますが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 今までの文章は全部枕です(・ω・)

 

 

 なぜ、そういう言葉を心の底から言えるのか?

 吃音とか関係なしに私はそんなこと思えないし、言えません。

 私自身はくだらない人間ですが、親や家族だけでなく、今まで関わってきた人、お付き合いしてきた人は人間的に善い人が多いです。

 

 そんな方々の具体的な特徴の一例としては、

 

宗教に関係なく、観念的に神様の存在を信じている

例)相手が何か善行をなしたとき

→「今日のあなたの行いを、神様はきっとお忘れにならないでしょう」

自分にとって何か吉事があったとき

→「神様が私のお味方をしてくださいました」

相手が何か成功したとき

→「苦しくても前向きに努力していたあなたの姿を、神様はずっと見ておられました」

 

 こういう言葉を真顔かつ本気で言うタイプ(・ω・)

 それも、義務的に信仰したり、他者にその思想を押し付けるわけでもなく、自然と述懐する感じ。 

 私ってこういう男性女性が身の回りにすごく多かった…。

 

参照動画

 

 

好きなキャラクターがディズニー(ミッキーマウス)、サンリオ(キティちゃん)を差し置いてムーミン

 

 その中でもミイやムーミンママが好きな人は特にEQおよびAQが高い気がします。

 ムーミン谷にはムーミンパパ(小説家、冒険家)、スナフキン(詩人、哲学者)、スノーク(発明家)、ヘムレン(植物学者)等の優れた人物がいます。

 ムーミンというアニメのキャラでは、子供はたいてい穏やかなスナフキンが好きなのですが、ミイが好きな人は他人の失敬に寛容な人が多いです。

 

 

③花全般が好きで、特にライラックが好き

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 花言葉 『謙虚』

 

 私は桔梗が好きです…(´ω`)

 

 

 …思いつくまま30分ほどかけて書いてみました。

 とりあえず、疲れたのでこの辺で止めておきますw

 窮地に立ったときにこそ、その人間の本性本質が出ると言いますが、親が誇れるような立派な息子になりたいものです。

 頑張ります…!

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