親孝行するまでは死ねない

思考錯誤の日々を綴っていこうと思いました

原体験に基づくトラウマの克服と動物的な危険回避行動について

 人が幼少期に受けた心の傷、あるいは命を脅かすような危険な体験は無意識のうちに潜在記憶に刷り込まれ、自分では克服したつもりでも、いざそれと似た状況になったときに過剰な防御反応が起こります。

 

 たとえば、火事で大火傷を負った人は炎が、異性に乱暴された女性は男性が、虐待されて育った子供は大人が、自分に害悪をもたらす存在として脳に深く刻み込まれてしまいます。

 

 この問題は個人的な一体験が、普遍的な原理として自分の中で一般化してしまうことです。

 韓国の人に不快な思いをさせられたから韓国人は嫌いだ、などという思想も外界内界の違いと程度の深刻さの差異はあれど、同じ方向性の現象のように思えます。

 

 ではこういった心の傷を克服するにはどうしたらいいのでしょうか。

 

 基本的に、考えられる対策は積極的方策と消極的方策で分かれると思います。

 

 対人的な恐れの場合は似た体験を何度も味わうことで、その経験に慣れ、恐怖を我が物としてしまうという方法があります。

 

 これは恐怖体験の一般化と言われます。

 たとえば親に怒鳴られ続けた子供はそれが当たり前になってしまい、自分が大人になると同じように子供を育ててしまうという負の連鎖が起こります。

 しかし、本人にとっては自分はやられる側ではなく、やる側に回ったという潜在的な満足があります。

 もちろん、その都度子供を傷つけてしまう後悔はあります。それでもそこから抜け出すのはなかなか難しいものです。

  

 また、性犯罪の被害者はセックスワーカーに就業することが多いです。これも親しくない異性と頻繁に望まない性交渉をすることで、『過去の致命的な傷は実はさほど大した傷ではなかったんだ』という認識の錯誤を無意識に行っているのです。

 

 一例ではありますが、これらが積極的方策になります。

 積極的方策は体育会系の気質の人で、周囲の人に迷惑を掛けない強い人なら可能ですが、ますます自分が傷ついてしまう場合が多く、おススメできません。。

 

 消極的方策としては、過去は過去として割り切って忘れる、という至ってシンプルな、我々人間が解決できない不快な出来事に遭遇したら真っ先にとりうる精神的な対策と同様のものになります。

 

 低い次元の話では、ギャンブルでこっぴどく負けても、次は勝てる!(>ω<)

と、自分に都合よく解釈するのもこの親戚と言えましょう。 

 

 または親しい人に、今日はこんな嫌なことがあったんだ~と、詳らかに状況報告するのも一種の割り切りです。

 

 要するに、トラウマに打ち勝つためにはひたすらその経験をリピートして慣れるか、この体験があるから今の自分があるとプラス解釈するか…と言ったところなのでしょうか。

 

 私の場合、吃音と椎間板ヘルニアという不治の疾患を抱えておりますが、どのようにこれら疾病とお付き合いし、社会に居場所を見つけ、堅固な人間関係を構築するか、常に考え模索し反省する日々であります(・ω・)

 

 画像は女系家族Ⅲの杏里。どんな人でも色んな顔を持っているもので、自分が知ってる他人の顔はその一つに過ぎないんだなと思ったりします。 

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女系家族III ~秘密HIMITSU卑蜜~』(2012年11月22日/シルキーズ)