親孝行するまでは死ねない

思考錯誤の日々を綴っていこうと思いました

社会に許容されるエロと叩かれる卑猥の境界を考える~その他タブー表現全般について~

 『男性の人生におけるすべての努力は、女性に対する欲望成就のためにほかならない滑稽』

 

確か、こんな感じの名言を海外の哲学者が言っていた気がします。あとは

 

 『女性が金を使うから、男は必要以上の金を稼がなければならない』

 

とかw これは三島由紀夫でしたかな…。

 

 いずれにせよ、世の男性のほとんどが性欲中心に人生を生きてるのはおそらく間違いないです。

 

 性欲がなければ、女性に興味がないからお金を稼ぐ理由のほとんどがなくなり。親のためとか、自分の命をつなぐため、夢や目標のため、というのは自己満足や義務感に過ぎません。

 

 健康な男性は女性が好きだし、そのために必死に努力するのでしょう。その人数や愛情の形態は人それぞれなわけですが。

 

 男性がある女性を好き、という場合そのほとんどがカラダが好きという意味で、次に性格や人間性といった個性や相性の適合率の高さの表明です。

 

 女性の場合、肉体や性格だけでなく金を稼ぐ能力、すなわち自分を経済的に守ってくれる力が最重要視されるのは云うまでもありませんw

 

 ある意味、世に存在するエロのほとんどの存在意義は女性に相手にされない男性のための慰めです。

 

 しかしそういった文化の中でも、女性が不快に感じる表現は宜しくないというのが率直な流れでしょう。

 

 以下、我が国の性的表現規制等に関する個人的な感想、見解ならびに疑問ですw

 

①基本的に、女性原作、女性視点のエロは叩かれない

②綺麗という感覚が圧倒的に勝るとエロく見えなくなり、許される

③筋骨隆々の女性は男扱いが可能

児童ポルノは許されないけど、早熟な少女が自分から誘惑するのはあり

⑤障害が関係すると即NG、ただし美少女障害者が周囲に助けられて救いがある話はありになる

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 会田誠さんの四肢障碍の少女絵ですが、卑猥だとは思いませんが、四肢に障碍がある方やそのご家族は不快に思うのかもしれません。

 でもなぜかすごく惹きつけられてしまう不思議。社会の影に潜む現実を描くのがエロの役割のひとつではないかと思ったりもします。